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2014年3月11日 (火)

国立歴史民俗博物館・歴史にみる震災

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 国立歴史民俗博物館・歴史にみる震災、の内覧会。 

 ほんとは少し、迷いました。 

 だってまだこわい。

 海沿いのことを考えると比べものにならないけど、
 でもほんとに怖かった。そしてまだ怖い。
 次はいつ来るのか、どうなるのか、どうするのか。

 でもたぶん、このよく揺れる土地に住む人々は同じことを思っていたわけで、
 じゃあ、なにをどのように記録したのかと、見たくなりました。

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 第1会場「第1章 東北の震災・津波」に入るとすぐ、

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 東日本大震災の津波波及シミュレーション画像。

 そしてその隣に、

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 貞観地震津波(869年)について記録がある「日本三大実録」 と、
 地層剥ぎ取り標本。

 「城下って書いてあっても、城のすぐ下のことなのか、城下町のことなのか、わからない。千と書いてあっても、本当にその数字なのか、それとも白髪三千丈のような誇張表現なのか。でもこうして地層と照らし合わせると、地震があったのは間違いないんです」(ギャラリートークより)

 入口近くのこのコーナーだけで、伝わるものがありました。
 地震が繰り返されてきたこと、
 そのたびに記録されてきたこと、
 でも記憶が薄れていくこと、
 各分野でばらばらに研究していては解明できないこと。

 以下、淡々と、地震とその記録が続きます。

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 1611年・慶長地震津波
 測量と金銀島探索に来て津波を目撃した、スペイン人の探検家・ビスカイノの記録も。

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 1896年・明治三陸津波
 

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 1933年・昭和三陸津波

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 1960年・チリ津波
 大船渡市の「罹災状況調」

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 「チリ津波の経験があるご夫婦が、東日本大震災では避難しなかった。チリのときに50㎝くらいでだいじょうぶだったから、ということなんです。なぜそれがわかったかというと、おふたりとも流されて、おひとりだけ助かったから、です。どうしても直近の大きさに左右されてしまう。過去の一番ひどい被災が的確に伝わるというわけではない」

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 第2会場は「第2章 近代の震災」。

に入る前に、パネルが2枚。左は東日本大震災による津波の被害。右は、

 「ハワイの津波被害です。国外の被害はまっ先に忘れてしまう。ここ千葉でも、犠牲者が出ていますが、どうしても被害の大きいところに目が行きがちです。被災地といっても何が目に入って何が目に入りにくいのか。被害というのは広がりもあれば多様性もある」

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 安政東海地震(1854.12) 死者2,000~3,000人
 安政南海地震(1854.12) 死者数千人

 「地震の年に黒船も来てるんです。激動というか、これだけ立て続けにいろんなことが起こったらどう思うのか・・・。ペリー来航、安政の地震、それだけ単独で考えていたらわからないことですね」

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 濃尾地震(1891.10) 死者7,273人

 そして、

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 関東地震(1923.9) 死者105,385人

 「赤い炎があちこちにあがってますでしょう。東京ばかりじゃなく、沼津や小田原、房総半島にも被害が及んでいるんです」。

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 左奥、分厚いのは「義捐金申込書類」。その右の分厚いのは「避難人名簿」。

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 左奥に「震災記念物募集」のポスター。「東京市」と書かれている中央は遭難死者氏名調査。

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 北但馬地震(1925.5) 死者428人
 北丹後地震(1927.3) 死者2,925人
 (中央に「嗚呼悲惨極まる 丹後大地震繪葉書(大特売金貳拾銭)」とある)。

 「東日本大震災の歌、なんてないでしょう。絵はがきも。今なら不謹慎とされるかもしれませんが、昔は伝達手段が限られていたんです。歌や絵は広がりやすい。何がいいと思い、何がいけないかを問い直すことにもなるかもしれません」。

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 東南海地震(1944.12) 死者1,223人
 南海地震(1946.12) 死者1,330人
 (右は「LIFE」 December 18,1944。戦争中で情報が入らなかったアメリカが、観測された地震波を掲載している(!))。

 政府が戦争遂行に悪影響を及ぼすと判断された事実は報道されなかった。

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 福井地震(1948.6) 死者3,769人
 (屏風は倒壊した丸岡城の再建に向けて奔走した、丸岡町長の回顧)。

 占領下で治安悪化をおさえ、また、台頭する共産主義をおさえるため、人々の動きに統制がかかった上、「戦災の後に震災、二度の記憶がごちゃごちゃになり、震災そのものの記憶が薄い」。

 「戦争中、占領下は報道統制もあって、地震そのものがあまり認識されなかった。そして戦後、たまたま、あまり大きな地震がなかった。阪神・淡路大震災までは。わたしたちは大きな地震の記憶が薄いまま、高度成長期を走り抜けてしまったのではないでしょうか」。

 図録所収の「近現代震災年表」には、1854年~2011年で24回、被害の大きい地震が載ってます。(載ってない地震でも、被害があります)。

 ひたすら地震の記録を見ていくので、
 ずーんと重たい気持ちになりますが、
 ふと気付けばどの時代の展示も、「記録を残す」「記憶を伝える」意識は共通なのでした。

 ほかに、

 とにかく地道に放射能データをとる「土壌スクリーニング・プロジェクト」。
 日常で使っていた、ありふれたものを救出する「文化財レスキュー活動」。それによって発見された貴重な衝立。
 宮城資料ネットの被災歴史史料保全活動。襖の下張りから歴史資料へ。

 といったコーナーも、ちょっとずつあります。

 前向きだの上向きだの7年後だの、
 平然と「なかったこと」にしてるんじゃないかと疑り深くなってますが、
 「非常に小さな地道な手間のかかる作業」は、あちこちでちゃんと続いています。

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